平成21年4月から12年間に旦って、JFEエンジニアリングOB会の事務局長を勤めさせて頂き、感慨深い日々を過させて頂いたことに感謝しております。
私は昭和37年NKKに入社し、配属先は、鶴見造船所鉄機業務部でした。当時から造船業の他に、陸上工事を拡大せんとする会社方針があったようで、最初に配属された鉄機業務部では、和田正昭係長(当時)から厳しい新入社員教育を受けましたが、そのいずれもが、その後の製造会社で活動する上での必須の事柄であることが、ほどなくして判ってきました。それ以降、本社営業部門、広島営業所を経由して、人事部人事第二室(重工・造船部門担当)勤務後、重工部門海外営業部に転じ、サウジアラビア現地法人経由再び海外営業に戻り、いくつかの海外工事にも参画しました。帰国後、NKKプラント建設勤務、NKK環境サービス代表を最後に、現業を終え以後JFEエンジOB会事務局に勤務してきました。総じてOB会員の皆様との交流を含めまして、多くの方々との苦楽を共にした交流から得られたものすべてが、私の財産になったと思っております。
最後になりますが、我々のOB会では、諸先輩が、平成6年12月に「航跡」を刊行しました。続いて、平成25年4月に「飛翔-航跡Ⅱ-」を諸先輩ならびに、直接諸工事に参画した方々からの寄稿文を主に編集刊行致しました。
それ以降の、エンジ事業部の目ざましい発展の状況を、「飛翔-航跡Ⅲ-」として発行されることを期待しています。なお「航跡」・「飛翔-航跡Ⅱ-」は、多くの関連資料と共に、OB会事務局室に、保管されておりますので、現役の方々も折をみて是非OB会事務局室にも御立寄り下さい。
寺澤 克徳
私は昭和37年NKKに入社し、配属先は、鶴見造船所鉄機業務部でした。当時から造船業の他に、陸上工事を拡大せんとする会社方針があったようで、最初に配属された鉄機業務部では、和田正昭係長(当時)から厳しい新入社員教育を受けましたが、そのいずれもが、その後の製造会社で活動する上での必須の事柄であることが、ほどなくして判ってきました。それ以降、本社営業部門、広島営業所を経由して、人事部人事第二室(重工・造船部門担当)勤務後、重工部門海外営業部に転じ、サウジアラビア現地法人経由再び海外営業に戻り、いくつかの海外工事にも参画しました。帰国後、NKKプラント建設勤務、NKK環境サービス代表を最後に、現業を終え以後JFEエンジOB会事務局に勤務してきました。総じてOB会員の皆様との交流を含めまして、多くの方々との苦楽を共にした交流から得られたものすべてが、私の財産になったと思っております。
最後になりますが、我々のOB会では、諸先輩が、平成6年12月に「航跡」を刊行しました。続いて、平成25年4月に「飛翔-航跡Ⅱ-」を諸先輩ならびに、直接諸工事に参画した方々からの寄稿文を主に編集刊行致しました。
それ以降の、エンジ事業部の目ざましい発展の状況を、「飛翔-航跡Ⅲ-」として発行されることを期待しています。なお「航跡」・「飛翔-航跡Ⅱ-」は、多くの関連資料と共に、OB会事務局室に、保管されておりますので、現役の方々も折をみて是非OB会事務局室にも御立寄り下さい。
寺澤 克徳
0 件のコメント:
コメントを投稿